1924年(大正13年)学園創設者本多由三郎(1896‐1978)が若い僧侶と協力して、岡崎市のお寺(現六供本町・一乗寺)の本堂を借りて託児所のように子ども等を保育していたのが清光学園の始まりとなる。
1926年(大正15年)4月に嫩幼稚園を創立し、1928年(昭和3年)に幼稚園として認可され、開園した。
1945年7月の戦災の爆風で園舎は半壊したが、1951年に現在の魚町1丁目に新築移転した。
創立からの歩み
1924年(大正13年)学園創設者本多由三郎(1896‐1978)が若い僧侶と協力して、岡崎市のお寺(現六供本町・一乗寺)の本堂を借りて託児所のように子ども等を保育していたのが清光学園の始まりとなる。
1926年(大正15年)4月に嫩幼稚園を創立し、1928年(昭和3年)に幼稚園として認可され、開園した。
1945年7月の戦災の爆風で園舎は半壊したが、1951年に現在の魚町1丁目に新築移転した。
初代理事長 本多由三郎
初代学長 石川謙
保育者の養成を熱望した、本多由三郎清光学園理事長が1964年の6月に、女子短期大学の設立を発願し、短期間の内に、資金・校地・校舎・設備・教授陣容等を整え、設置認可、開学の運びとなった。4,700坪余りの校地に本館3階建1棟からの出発である。
また、1962年4月に早蕨幼稚園が開園した。
1974年S49当時の学舎全景
スタートは保育科(昼・夜間部)で、その入学試験は2、3月と2回行われ、4月16日、開学式と同時に第1回入学式が挙行された。
初代学長には郷土出身の石門心学の泰斗、石川謙博士を招聘した。
時代の趨勢から、保育科を幼児教育学科と改称。また、幼児教育学科第三部が設置され、226名が入学した。さらに、校地の確保および第四期工事も並行して行い、B館4階建の増設が完了した。
第1回大学祭や卒業式、「児童文化研究部はとぽっぽ」の旗揚げなどの基盤を固めていった。
1974年には初等教育学科を設置し、小学校教諭への道が開かれた。
また、1973年に第二早蕨幼稚園が開園した。この時に早蕨幼稚園は第一早蕨幼稚園に改称。1974年には嫩幼稚園創立50周年を迎えた。
1978年12月21日、創立者本多由三郎先生が4年制大学設立の夢を残して逝かれた。
経営実務科は、1986年4月に開設した。目的は産業界に貢献できる「自立的な女性職業人」を育成することにあり、有用な専門知識を授けた上で、それを具体的に産業界で実践できる能力を養成するものである。
1996年 セントマーチンズ・カレッジと姉妹校締結
人間福祉学科開設記念講演
五万石おどりで最優秀賞を受賞
文部科学省「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」に本学の経営実務科の取組が採択された。(中部地区私立短期大学で初の快挙!)
本取組は、20年間続けてきた、経営実務科の特色授業である「ビジネスゲーム」を基に、地域住民と企業、学生の三者が、web上の仮想ショッピングモールで、ビジネスを展開する「産学コラボレーション・総合体験型授業」である。大学の個性化・多様化や国際競争力の強化が求められる中、「わが国の高等教育の将来像(答申)」を踏まえつつ、大学における教育の質の充実、大学における教育面での改革の取組の一つとして認められたものである。
平成19年度「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」に幼児教育学科の『心に届く子育て支援能力を育む幼児教育祭ー子どもとの双方向的表現空間を通しての遊び支援』の取組が採択された。
文部科学省の「大学教育・学生支援推進事業」に、本学の「求職求人をマッチングさせて紹介する就職支援システムの活用」が採択された。この取組により「OKATANお仕事ナビ」の運用が始まった。
価値観が多様化し、人間関係が希薄になりつつある今、社会では子どもや親と本気で向き合い、響き合える「人間関係力」を持った人材が求められます。そうしたニーズに応えるため、岡崎女子大学を設立しました。
豊田市の公立園として1955年6月から2022年3月までの長きに渡り、地域に根差してきた高嶺こども園は2022年4月「幼保連携型認定こども園たかねこども園」として民間移管を受けた。
文部科学省「平成29年度私立大学研究ブランディング事業」に岡崎女子短期大学の「子ども好適空間研究拠点整備事業」の取組が採択された。
hyggeLab(子ども好適空間研究所)、hyggeともそだち広場、hyggeあそびの箱、hyggeおはなしの森を整備
現代ビジネス学科学生募集停止
幼保連携型認定こども園たかねこども園設置認可
模擬授業演習室、保育演習室の整備
第一早蕨幼稚園満3歳児保育室増設
今、社会はとてつもない規模で多様性と複雑さを増し、人類は人生100年時代を迎えようとしている。しかし、時代がいかに変わろうとも、幼子の育ちの根っこを豊かに培い、子どもの未来や社会の発展を担う人財の重要性は揺るがない。
園庭で、泥の堅さを確かめる子どもの瞳は、科学者のそれのようであり哲学者のようでもある。子ども等と出会って学んだことを伝える学生たちの瞳には、保育者や教育者の片鱗が見える。人づくりは国の未来を創り、人の生涯の礎を築く。
100年前に嫩幼稚園を創設した本多由三郎先生は「心にかけて手をかけるな」の言葉で幼子への愛情を語った。岡崎女子短期大学の開学に際しては「自由と創造」が教育の魂であることを世に示した。清光学園は、本多先生が描いた学園の理想に思いを馳せ、未来に亘って、人づくりへの期待に応えていく。